そうとう寒い^^
昨日も寒かった。
そして今日も寒い。
そうとうにシバレテいる。
川の流れる水も所々に氷が貼ってるのが見えた。
こんな日は犬と言えども寒かろうと
ちょっと一枚着せてのお散歩。
えっほ、えっほと歩く二人。
リオは歳だからどうかなぁ・・・と思ったけど
あんまり安静にしていても、社会性を忘れそうで
それも嫌だし、足腰が弱くなりすぎても困るし
気分転換に・・と誘ってみると案外すんなり。
しかし・・・・・・思いがけずに・・・・・
一番最初に音を上げた
(足をあげた)
のはこの方。
↓
「そうです僕です。寒いのそんなに得意じゃないですよ。」
むーたん、生まれも育ちも過酷な環境であったのに
毛質柔くて雪玉も沢山つけちゃいます。
そんなに寒さには強くないし、鍛えれば大丈夫なのかもしれないけど
鍛えなきゃいけない理由もないので王子のように大事にしてます(笑)
この子が千歳の人が毎日通わない場所にケージに入れられて
または、つながれて、火の気のない所で過ごしてきたんだと思うと
なんとも、飼う人の都合でどうとでもされている
犬猫などのペットになる動物は哀れと感じてしまう。
保護団体を名乗る人の中には
「命が助かっただけでもうけもん」ってセリフ別々の人から何回か聞いたんだけど
なんかそれで自分を納得させてないかなぁ・・・って感じる。
もちろん野生であったなら、そんな事も考えないのだろうけど
それこそ、生きるのも死ぬのも自然の営みとして
そこには命の尊さと命のリレーとしての存在価値を感じるのでしょうね。
でも、飼育しただけ、助けただけではその命はどうなのだろう?
人間が与えるその命の価値でしかなくて
その命が本来持っているものではなくなっているペットとしての
役割でしかないのではないかなぁ。
ペットになれない命は、処分できないという理由で
繁殖すらも制限されながら、閉じ込められてその命を終えるという
一生を送る事になっても「命があるだけもうけもん」なんだろうか。
「冷たい・・・」
助けたい命を増やさないのが先なんだけど、営利目的や人間の欲に
翻弄されるペット達は、何も言わないで今日を生きているのだね。
人間って嫌だね。